今日は、8月9日。長崎に原爆が落とされた日。
80年の時を経て、100歳のご利用者様が今何を思うか伺ってみました。
「広島や長崎に原爆が落とされた日も、天皇陛下が終戦の宣言をした日もよく覚えてますよ。今でこそ原爆って言い方をしますけど、あの時は原子爆弾なんてことはわかりませんで、新型爆弾が落とされたって放送(ラジオ)されました。間もなくして天皇陛下から重大発表があると言われて家族でラジオを聴いていたのですが、何を言っているのかわからなくてね。大学を出ていた父だけが内容を理解して、「戦争は終わった」と言ったんです。夜になって家の電気をつけるのに黒い幕を張らなくていいと言われても本当にいいのだろうか?と疑いましたよ。
夫が出征してしまったので娘と羽鳥の実家に帰省していてね。どこにでも娘を寝かせられるように夏なのに半纏を着て娘をおぶって百姓の手伝いをしていましたよ。静岡にも爆弾を積んだ戦闘機が飛び交いました。その下で畑の草取りや収穫をしたんです。ちょうど、トマトをもいで食べていた時にビー(B-29)が低く飛んでいて、搭乗員の白いスカーフが風になびいて揺れているのを見ましたよ。
静岡にも雨のように焼夷弾が落とされたことがあって、千代山の向こうが夕焼けのように赤くなったので火事が起きたとわかったんです。夫の姉が静岡の街中にいたので、翌日野菜を持って様子を見に自転車で向かった時、道端に遺体が転がっていてね。井戸にもたれかかっている人がいるなと思えば、死んでいるんですよ。こっちにも、あっちにも。あの時は神経が麻痺していたから、あぁここにも遺体があるとしか思わなくてね。今考えれば異常ですよ。でも、その時は、何とも思わなかった。おそろしいことですね。」
今でも記憶の中に鮮明に残っているそうで、淡々とでも明瞭に語って下さいました。話の流れで、100年余りの人生の中で一番よかった時代はいつ頃か?と伺ってみました。
「結婚したばかりの夫といた頃。その頃が一番よかった。物のない時代で街の人が着物と食料を交換に来たので、田舎の人が嫁に行く時は町の人よりいい着物を着ていたし、たくさん着物を持って嫁いだ。実家が昔からの百姓で作物を供出しても手元に食べ物が残っていたから食べる物に困ることもなかったですしね。」
今の暮らしではないところに考えさせられるものがありました。
折に触れ、地域のことやこれまでの生活について伺っていますが、戦争体験を語れる人が少なくなった今、積極的に話したい話題ではなかったと思いますが、こうして話を聴かせて下さったことに感謝いたします。